ある日、世界中のニュースが一斉に報じた。「日本の製薬会社が、AGAを一度の注射で完治させる画期的な新薬を開発」。そのニュースは、世界中の何億人もの人々を歓喜させた。私の友人、田中もその一人だ。彼は長年、高価な治療薬を使い続け、毎月の出費に頭を悩ませていた。彼はすぐに病院に駆け込み、その夢の注射を打った。数週間後、彼の頭からは産毛が生え始め、半年もすると、学生時代のような黒々とした髪を取り戻していた。社会は大きく変わった。これまでAGA治療に費やされていた莫大な医療費は、他の難病研究へと振り向けられた。カツラや増毛の市場は一夜にして姿を消し、その技術者たちは新たな職を探すことになった。人々は髪の悩みから完全に解放され、自己肯定感が高まり、社会全体がどこか明るくなったようにさえ感じられた。しかし、数年が経つと、予期せぬ問題も現れ始めた。誰もがフサフサの髪を持つようになったことで、かつては個性と見なされていたヘアスタイルが、逆に没個性的に映るようになったのだ。一部の若者たちの間では、あえてスキンヘッドにすることが「クール」だという新しい価値観が生まれ始めた。また、AGAという共通の悩みを通じて繋がっていたコミュニティは消滅し、田中も治療仲間と集まることがなくなり、少し寂しさを感じているようだった。一つの悩みが解決されると、また新たな価値観や別の種類の課題が生まれる。AGAが治る時代は、間違いなく多くの人にとって幸福な未来だろう。しかし、その先にある社会がどのような形になるのか、失われるものが何なのかを想像してみるのも、また興味深いことなのかもしれない。